聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年―卒業アルバム』

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

大正十五年の「四谷第四尋常小学校」と、昭和九年の「日本美術学校」の卒業アルバムがある。昭和6年の東京府立第五高等女学校の卒業アルバムは無い。あったら面白いだろうなーと思っていたが、82年前のアルバムを望むのは無理だと考えていた。第五高女は現・都立富士高校(男女共学)になり、現在は中野区弥生町に在るが、大正9年創立当初は新宿歌舞伎町あたりに在った。鹿乃子は四谷内藤町の自宅から千駄ヶ谷まで歩き「国電で新宿駅北口で降り、市電が通る広い道を渡って学校までは7分ほど歩いた」という。

時々同校の同窓会「若竹会」から鹿乃子にお知らせがきていたのを思い出し、ダメ元を承知で若竹会事務局にメールを送ってみた。「当時の写真などがあったら見せていただきたい」と。事務局長は同校卒業生の女性Iさんで、鹿乃子の写真があるかどうかは分からないが、いくつか資料を出しておきます、とのこと。昨日、弥生町にでかけた。当時の校友会記録など数冊が揃えられ、中に「思ひ出」と書かれた花柄の布製のアルバムが一冊あった。昭和6年のもの。欣喜雀躍とはまさしくこのことだ。校舎写真、授業風景、先生方、そして卒業生全員の顔写真が載っていた。鹿乃子のセーラー服写真もあった。この卒業アルバムは鹿乃子の同級生Yさんが25年前に亡くなり、娘さんが同窓会に当時の教科書とともに寄贈された貴重なアルバムだった。この時代の卒業アルバムはこの一冊のみ。

いくつか写真を撮りはじめたが、途中でふと「百歳の誕生日に、全部の写真を貼って手製のアルバムを贈ったら、鹿乃ちゃんが友達を思い出したりするかな?喜ぶかな?」と思いつき、どのページも撮らせていただいた。以前書いた「ゼンチャン」の顔写真もある。校友会記録から鹿乃子の和歌二首もみつけた。

校舎近辺の航空写真がある。今は歓楽街の代表になってしまった歌舞伎町(当時の正確な地名かどうかは未確認)の82年前の様子がわかり実に面白い。(拡大できます)
次回は授業風景など当時の女学校の雰囲気が伝わる写真を掲載の予定。

鹿乃子第五高女卒業写真

 

第五高女校舎正面

第五高女上空写真