聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年―水筒と布袋』

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

明日は8月15日。この日が近づくと、どうしても取り出してしまうものがある。そして、それは今のところどうしても処分できない物でもある。

1945年8月15日、私たち一家三人は内蒙古・張家口で敗戦を迎え、文字通り命からがら列車で北京を経て天津(テンシン)の収容所に入り、七か月余りを過ごした。
1946年3月末に日本へ引き揚げてきたときに身に着けていた父・謙吉の水筒と、まもなく4歳になる私の小さな布袋である。布袋は数年前に思い切って洗ったので、名前の布が白々としている。鹿乃子のものは残っていない。
「C-88」これが引揚時の私たち三人家族の身分番号だった。
丁寧に書かれた名前の布を、どのような思いで鹿乃子は縫い付けたのだろうか?日本に帰れる、喜びと不安と・・・。
私は昭和17年生まれだが、戦争の記憶は断片的なものだけだから、戦争を知っているとは言えないかもしれない。この二つの品は戦争の記憶の尻尾とでも呼べばよいのだろうか・・・。

引き揚げ時の水筒と布袋S
この汚い尻尾を、いつかは何とかしなければならない、と思いつつ何年も過ごしてきた。こんな物を身につける日がもう来ませんように・・・と思うために、捨てない自分がいるのかもしれない。