聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年―父・正二郎』

モガ鹿乃ちゃん2

鹿乃子の父、正二郎は明治元年(1868 年)富山の中井家の二男として生まれた。まだ富山藩で、明治4年の廃藩置県で富山県となった時代である。鹿乃子の話によれば、生家は庄屋のような家だったので比較的裕福だったらしい。しかし二男ゆえ家を継ぐことはならず武田ミツの長男として養子になる。富山人気質を表すことがいくつかある(註・珠江)。「越中の一つ残し」と言われ蓄財精神が旺盛なこと、子弟の教育には熱心な傾向があること、「嫁は越中から貰え」と言われるほど富山の女性は働き者であること。今でもそうなのは分からないが。ともかく、こうした環境の中で育った武田正二郎は、帝国大学(現・東大)に入学する。当時は上京するのも簡単ではなく、鉄道の無いところは歩いて行った、とは鹿乃子の話。専攻は林業。帝国大学の最初の卒業生だそうだ。卒業後、現・農林水産省に勤め、日本各地を赴任、結婚して八人の子どもをもうけた。大正2年11月23日、八人目の子どもが鹿児島赴任中に生まれ、鹿乃子と名づけた。子どもたちは全員長寿で 鹿乃子曰く、「戦争でも病気でも若くして死んだ人は誰もいないね。まあ、アタシが一番長生きしたけどネ。あたし幾つ?」「九十九歳、白寿のお祝いを去年したでしょ」「へえー、九十九歳!長生きしたもんだ。今度は百歳?、へえー、そうか百歳!」。フッフとヒッヒの間のような不思議な声で、いつものように可笑しそうに笑う。
★お断り
この聞き書きは、今のところ鹿乃子の記憶を主に書いていますので、細かい部分では記憶違いの可能性もあり、いずれ追跡裏づけ調査が必要と考えております。