聞き書き『モガ鹿乃ちゃんの百年―5月1日』

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

朝9時半。母を近くのデ―サービスまで歩いて送る。空を見上げて「いい天気だねぇ」。通りまでの階段(62段)をステッキと私の腕につかまりながら降りる。
「うわー、あの緑は綺麗だねー」と立ち止ったのは柿の樹の前。柿若葉は本当に美しい。鹿乃子は毎年この柿若葉に感動する。

「お母さん、今日は5月1日だけど、何の日か覚えてる?」
「うん、覚えてるよ、メーデーだね」
「あのね、今日はお父さんの命日だけど・・・」
「あ、そうか。今日だったのか」「そうか・・・悪かったね、アハハハ」。何がおかしいのか何度も「アハハハ、そうか・・・お父さんは今日亡くなったのか・・・悪かった」と笑う。

1982年5月1日、父・謙吉は大動脈破裂で亡くなった。明け方病院で息を引き取り、葬儀の準備のため鹿乃子と私たち3人の姉妹は小ぬか雨の中を歩いて自宅に戻った。その道すがら鹿乃子が話していたのを鮮明に覚えている。「1カ月くらい前にね、お父さんがね、こんなことを言ってたよ」。

翫右衛門さん(註・前進座の)良い幕を引きましょう。僕は片手がちょっと不自由
なんで、うまく出来ないけど、手締めをしましょう・・・

安英さん(山本)、やっぱり大野屋の足袋は本物ですね。役者の足をちゃんと知っていて・・・

(天井をじっと見つめながら)ここから舞台を観るのも面白い、時には違った角度から舞台を観るのも必要だなァ。

根岸君は(門下生)は僕をむずかしい人だ、と言ったけど、でも味があるって・・・

舞台美術家だった吉田謙吉が亡くなったのは85歳、鹿乃子は69歳だった。16歳年上の夫の考えていることが自分が同じ年にならないと分からない、と私に言ったことがある。結婚相手は同じくらいの年の人が良い、とも。鹿乃子はとっくに85歳を超え、百歳五カ月を過ぎた。

謙吉は今年33回忌。戒名はない。