聞き書き『鹿乃ちゃんの百年―大正昭和の歌舞伎町』

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

 

第五高女のあった場所は新宿歌舞伎町、コマ劇場のあったあたりだ。昭和6年当時の飛行機から撮った写真を卒業アルバムでみつけ、10月24日に載せた。そのころのことをもう少し知りたい、と思っていたら『新宿区の歴史』(新宿の歴史を語る会 代表・国友温太 名著出版 昭和52年刊)という書籍を鹿乃子の部屋で昨日偶然見つけた。何枚もの新聞広告を切った栞が挟まれている。いくつかの記事には鉛筆で○印がつけられ、傍線も引かれていた。鹿乃子の字で書きこみもある。そのなかの歌舞伎町という項に、まさしく第五高女の土地について書かれていた。その一部を引用させていただく。

明治時代、この土地は元九州大村藩主大村家の別邸でうっそうとした森林だった。大正のはじめ(鹿乃子は大正2年生まれ)土地が買収されて森林が伐採され平地となった。大正9年、現在の都立富士高校の前身である府立第五高等女学校がコマ劇場あたりに設置された(註・コマ劇場は平成20年に閉館)一般住宅が建ち始めたのは関東大震災以後である。戦前、ここは角筈一丁目北町会の区域で、一般庶民の住宅と店舗が入りまじっていた。昭和20年4月の空襲で灰燼に帰した。(後略)

歌舞伎町といえば今は少々コワイ地域になったが、鹿乃子がセーラー服をきて通った当時のことが、写真と文で少し具体的に想像できた。私には想像だが、鹿乃子にとっては鮮明な記憶なのだ。何枚もの栞を挟みながら何を思い出していたのだろうか?

第五高女卒業アルバム表紙

 

 

 

 

 

昭和六年 卒業アルバム