ゆむらたいこのマンガ小さな旅「鶯谷」

子規庵
鶯谷駅( JR山手線 / 京浜東北線)
鶯谷駅北口から徒歩5分。明治の俳人・ジャーナリスト正岡子規が約8年住んだ終焉の地。東京都史跡指定。昭和25年に再建された建物ですが、一歩庵に入れば子規の世界が広がります。四季折々の小園と、糸瓜の棚にぶら下がる糸瓜の青さに、子規の創作世界に思いを馳せてください。

笹乃雪
鶯谷駅( JR山手線 / 京浜東北線)
鶯谷駅北口から徒歩2分。 武蔵野水脈の井戸水を使い、赤穂浪士、正岡子規にも供された当時の製法そのままの伝統の豆富料理が頂けます。コース料理だけではなく、お豆富と焼き鳥とビールで一杯もお座敷で楽しめます。

ゆむらたいこのマンガ小さな旅「作者ご紹介編」

「ゆむらたいこのマンガ小さな旅」の作者のプロフィール。

湯村泰子さんは不思議な空気感の持ち主で、ギャラリー<季の風>に吹いてくる風のような存在だ。
2018年2月、マンガ歴50年余を記念して「少女マンガ家・ゆむらたいこ」が人形を主とした個展を開き、お客様の似顔絵をその場で描いて、楽しませた。
それまでは、控えめなキャラクターだったが、この個展を機に、なぜかハジケはじめ、とどまる兆しはない・・・。
彼女とは上海、大邱、ハノイ、ホーチミンの蓮と蓮文化を探求する旅に出かけ、
倹約を楽しみながらの弥次喜多道中をしてきた。

少し前の記事ですが、ゆむらたいこさんのプロフィールです。これからもよろしくお願いいたします。




「ゆむらたいこのマンガ小さな旅」始まります。

「マンガ旅日記」あらため「ゆむらたいこのマンガ小さな旅」として再登場です。
私たちの住む町、東京・町田市・玉川学園は小田急線の各停しか停まらない小さな駅です。日帰りで行ける面白そうな所へ、ギャラリー<季の風>のシオザワとともに歩くレポート。
たいこサンは何に目をつけたのか・・・・どうぞお楽しみに。

今回は、玉川学園前駅→伊勢原→大山豆腐で名高い大山阿夫利神社へ。
丹沢山系の澄んだ空気と、美味しい水が生むお豆腐と、階段を上る参道を楽しみました。

 

 

大山阿夫利神社 http://www.afuri.or.jp/about/
註1:トイレ情報→上社(かみしゃ)の情報デス。私たちが行ったのは下社(しもしゃ)。

註2:「こま参道」 山の材をつかったコマ専門店がある。階段状の参道踊り場にはコマのタイルがはめ込まれ、上った段数が分かるようになっている。



宿坊旅館。

苔むした玉垣。

豆腐メンチをスケッチ中のたいこサン。スケッチが終わるまでは、おあずけ。

オワリ。

聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年―日本美術学校』

モガ鹿乃ちゃん2

日本美術学校は豊多摩郡戸塚町(現・新宿区早稲田)にあった。鹿乃子によれば学校は高田の馬場に在った、という。

 

 

 

紀淑雄 きの-としお

1872-1936 明治昭和時代前期美術研究家。
明治5年4月22日生まれ。東京専門学校(現早大)を卒業し,母校講師をへて明治44年早大の教授大正6年独力で美術研究所(翌年日本美術学校改称)を創設,初代校長をつとめた。福地復一との共著「日本帝国美術略史」がある。昭和11年4月15日死去。65歳。東京出身。日本で初めての週刊誌「婦女新聞」の記者だった。子に受験をすすめた。

 

三年制で、当初女子は3名いたが一人は秋に病死する。一人は中国人だったが、入学した昭和6年の918日に満州事変勃発のため帰国し、鹿乃子は図案科で紅一点となる。

昭和9年に卒業。21歳。卒業アルバムの鹿乃子はなかなかカッコイイ。おしゃれだが、意思の強そうな表情だ。

 大正末期から昭和初期のモボ・モガは流行の洋装を身につけた不良的な若者たち、という意味合いが強かったが、時代の先端をいく存在でもあった。

 美術学校の講師の一人が謙吉で、その講義ぶりは鹿乃子の記憶に鮮やかだ。つかつかっと教室に入ってくるなり「今日の課題は○○○」と告げると、またつかつかっと出ていく。

もう一人の古田立秋は丁寧な説明をするので、二人の対比がおもしろかったという。

在学中、漆芸家・磯矢阿伎良(ルビ・いそやあきら)の自宅の工房にも通った。

磯矢は美校・漆工科出身で、生活に密着した「用即美」の漆工芸を提唱し、当時の作品の絵ハガキ(箱)を見ると、とてもしゃれている。

 

大邱マンガ旅日記3日目の2

 

マンガ大邱表紙AS

 

 

 

 

 

絵 湯村泰子(ゆむら たいこ)
文・写真 塩澤珠江
マンガ旅大邱25S

 

 

付録
日記の中で載せられなかった写真をいくつかご紹介します。

スーパーの動く歩道

スーパーの動く歩道。両サイドには韓国の大スター、イ・ビョンホン氏がインスタントコーヒーを手に持ち、真っ白な歯を見せてニッコリ。

大邱白菜を買う女性

いよいよキムチを漬ける季節到来!お母さんは張り切っています。

m大邱白菜記事S

帰りの飛行機で記念に持ち帰った韓国の新聞にも、白菜の記事が大きく載っていました。

スーパー蓮根

スーパーの蓮根売場。

スーパー蓮根スライスS

こちらはスライスされた蓮根。ちょっと穴が大きい?

ビロードの蓮S

「蓮をもとめて大邱への旅」、見知らぬ大勢の方に親切にしていただき、短期間でしたが、幸せな旅になりました。次回は言葉をもう少し覚えて出かけたいと思います。

      또 만납시다. ト マンナプシダ またお会いしましょう。

 

 

 

   

大邱マンガ旅日記3日目の1

マンガ大邱表紙AS

 

 

 

 

 

絵 湯村泰子(ゆむら たいこ)
文・写真 塩澤珠江

 

マンガ旅大邱23S
マンガ旅大邱24S

釜山空港

釜山空港出発ロビーでも、せっせとスケッチ中。

釜山上空帰路

釜山上空。美味しくて楽しかった大邱と釜山。またね~。

つづく。

大邱マンガ旅日記2日目の5

マンガ大邱表紙AS

 

 

 

 

絵 湯村泰子(ゆむら たいこ)
文・写真 塩澤珠江
コーディネーター 丸山雅子
(大邱広域市観光文化財課日韓通訳)

マンガ大邱21S

マンガ大邱22S
釜山居酒屋のメニュー

居酒屋のメニューの表紙は李朝民画でおなじみの虎!日本語だが内容が分からない物もあり、お隣のオジサンたちの料理を見ながら適当に注文。

蚕の蛹をスケッチ中の湯村さん釜山

郷土食では当たり前の「蚕の蛹」のおつまみ。塩澤は手が出ず、湯村さんは2つ挑戦するも、ギブアップ。昆虫食はハードルが高い・・・

蟹鍋をスケッチ中S

湯気立つカニ鍋をスケッチ中。

釜山ドングリのムッと野菜の和え物S

ドングリのムッと野菜の和えもの。ムッはドングリの澱粉質を寒天状にしたもので、プルプルした食感。この和えものは、五味五色を基本にした健康食。韓国は体にうれしいものが外食でも食べられることが、今回の旅で実感できた。

つづく。

大邱マンガ旅日記2日目の4

マンガ大邱表紙AS

 

 

 

 

絵 湯村泰子(ゆむら たいこ)
文・写真 塩澤珠江
コーディネーター 丸山雅子
(大邱広域市観光文化財課日韓通訳)

大邱は漢方材の市場「薬令市」が1658年からあることで有名です。漢方博物館もありますが、残念ながら今回は時間がなく行けなかったのがとても心残りでした。その代わり、漢方茶で疲れた体に効く「サンファ茶」をいただきました。街には漢方材を売っている店が並んでいるので、不思議な香りがします。

マンガ大邱19S

マンガ大邱20S

薬令門S

薬令市博物館の門。薬研で漢方材を砕いている彫刻などがある。

漢方絵1

漢方薬の壁画。
サンファ茶S

サンファ茶。

お祝い菓子専門店

お祝い菓子専門店。上の方に韓国時代劇でよく見る結婚衣装を着た男女の絵が描いてある。

つづく。

 

聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年-選挙』

モガ鹿乃ちゃん1

 

 

 

 

今日は投票日。記憶できる時間が短くなっているので、予定は直前に伝えることにしている。「今日は選挙だけど、行く?」当然のように「行くわよ」。
着替えの間中「投票用紙は?」を何度も何度も繰り返す。さて、ステッキを持って、いざ出発。62段の階段を降り、車に乗り込む。私の車は車高があるので、脚をしっかり上げないと乗りにくいが、あえて手伝わない。シートベルトも手伝わない。さあ、行きましょう!と思ったらレバーに母のシートベルトが巻きついていた・・・もう手伝わないとダメかな・・・。

小学校に着いてポケットにいれた投票用紙を出す直前に「コレが投票用紙なの?」とじーっと眺めている。係の方が手を差し出しているのに、なかなか渡さない。そうか、これは投票用紙その物ではないと考えているんだ・・・。
記入は難なくできる。68年間応援している党があるからだ。記入をすませると「名前だけでいいの?」と何度も言い、投票箱に入れるのに未練がましく手を離さない。

鹿乃子は一般女性が参政権を得られてから、最初の一回をのぞいて地方選挙も含め、投票を欠かしたことは無い。第一回は1946年4月10日、戦後初の衆議院選挙だった。
その年の3月29日、夫と、間もなく4歳になる私とともに中国から引き揚げ、京都を経て、鎌倉七里ガ浜の姉の家に転がり込んだから、最初の投票はできなかった。

帰りの車中で「棄権したことはないの?」「ない」ときっぱり言い切った。
「投票について人に相談したことも、ない」「自分で決めることだからネ」
「小さい頃から家の中で政治のことは、皆よく話していたから、関心があった」。

投票皆勤賞をあげよう。

101歳と21日。晴れ。