ミレーの「種をまく人」

8月22日、山梨県立美術館で開催中の「生誕200年ミレー展」に行った。お目当ては「種をまく人」。もうひとつ、美術史家・飯野正仁氏による講演「<種をまく人>の精神史・聖書の中の<種をまく人>・絵画の中の<種をまく人>」。面白かった!

ミレ―展表

ミレーは同じタイトルで5点描いている。そのうちの3点がまとめて見られる。なぜ「種をまく人」に私が関心を持ったかというと、『そば学大全―日本と世界のソバ食文化』(俣野敏子・著 平凡社新書)にミレーがまいているのはソバの種だ、と書かれていたからである。ミレーはフランス人、だからフランスパン、だから麦でしょう、という思い込みで何十年も生きてきた。何の種をまいているのか?なんて考えたこともなかった。いつか、どうしても本物の「種をまく人」が観たかったのだ。なぜムギではなくソバなのか?
ミレーの故郷は、フランス北部ノルマンディーの海港シェルブールから西に15kmのグレヴィルの町海岸沿いのグリュシーというちいさな集落だ。ここはムギ栽培の北限を超えているため、サラセンソバと呼ばれる穀類が作られているそうだ。

ミレ―種まく人上は山梨県立美術館所蔵の「種をまく人」(油彩 1850)。同館の常設展のチケットになっている。

種をまく人3
こちらはウエールズ国立美術館寄託の「種をまく人」(油彩 1847―48年)
ほかにリトグラフの「種をまく人」も展示されていて、これも素晴らしかった。
以下は飯野氏の講演の受け売りだが、この農夫が立っている大地は斜面であるため、ムギの栽培には適していないことも挙げられていた。そして後方の牛に注意を促した。ただの景色として描かれたのではなく、ソバの種をまいたあと土をかけるために牛がひく鍬が描かれているのだ、と。飯野氏曰く、絵には主題のほかに遠くや足元に描かれているものに注意すると、歴史や時代的な背景が分かる、と。

講演「聖書の中の<種をまく人>」では、12世紀の種まく人の様々な絵が紹介された。つまりミレーの「種をまく人」という主題は聖書の時代から描かれていて、ミレーだけが描いていたのではない。ただし、聖書の中の「種をまく人」の種はソバではなくムギだったのでは?というのは私の考え。

帰りに美術館のレストランでミレーにちなんだソバ粉のガレットを食べた。サクサクとしてとても美味しかった。中庭に目をやると美術館のガラス壁に「ミレーのノルマンディ・カフェ」と描かれていたのがムギの穂。ここはやはりソバでほしかった。

ミレ―展ガレット

ミレ―展ノルマンディ・カフェ

聞き書き『モガ・鹿乃ちゃんの百年―水筒と布袋』

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

明日は8月15日。この日が近づくと、どうしても取り出してしまうものがある。そして、それは今のところどうしても処分できない物でもある。

1945年8月15日、私たち一家三人は内蒙古・張家口で敗戦を迎え、文字通り命からがら列車で北京を経て天津(テンシン)の収容所に入り、七か月余りを過ごした。
1946年3月末に日本へ引き揚げてきたときに身に着けていた父・謙吉の水筒と、まもなく4歳になる私の小さな布袋である。布袋は数年前に思い切って洗ったので、名前の布が白々としている。鹿乃子のものは残っていない。
「C-88」これが引揚時の私たち三人家族の身分番号だった。
丁寧に書かれた名前の布を、どのような思いで鹿乃子は縫い付けたのだろうか?日本に帰れる、喜びと不安と・・・。
私は昭和17年生まれだが、戦争の記憶は断片的なものだけだから、戦争を知っているとは言えないかもしれない。この二つの品は戦争の記憶の尻尾とでも呼べばよいのだろうか・・・。

引き揚げ時の水筒と布袋S
この汚い尻尾を、いつかは何とかしなければならない、と思いつつ何年も過ごしてきた。こんな物を身につける日がもう来ませんように・・・と思うために、捨てない自分がいるのかもしれない。