マックロ節

モガ鹿乃ちゃん2

 

 

朝刊を読んでいた鹿乃子が「あー、今日は桜島が噴火したんだね。よく覚えているよ」。
眼鏡はつかわずに大きな虫眼鏡で新聞を読む。
大正2年11月23日に鹿児島で生まれた鹿乃子は、桜島が噴火した時は一か月とちょっとだから覚えているはずはない。だがこの天変地異については家族でしばしば話題になっただろうから、それが自分の中で体験として記憶に残っているようだ。

風もなく穏やかな昼前、散歩にでて桜島の話を聞く。
「女中のカメがね、私を抱いて逃げたんだよ。たぶんオムツも一緒に持ってね。子どもが八人もいたから大変だったろうね」。

一冊の本がある。『啞蝉坊流生記』(添田啞蝉坊顕彰会 昭和31年刊)。
そえだ あぜんぼう(明治5年―昭和19年)はノンキ節などで有名な大正昭和の演歌師。牧伸二を思い浮かべていただけば分かりやすいが、その本には啞蝉坊作詞作曲の歌がズラリと載っていて、中に「マックロ節」という歌がある。

箱根山 昔は背で越す籠で越す
今ぢゃ夢の間汽車で越す
煙でトンネルはマックロケノケ

爪弾の 消えて聞えて又消えて
消えて聞えて又消える
邪魔な板塀 マックロケノケ

桜島 薩摩の国の桜島
煙吐いて火を噴いて破裂し(おこりだし)
十里四方が マックロケノケ

米で鳴る 陸奥に生まれて食えぬとは
嘘のようだが来て見やれ
いり藁松葉餅 マックロケノケ

唖蝉坊流生記表紙

添田唖蝉坊写真

 

 

 

 

 

 

 

二番はちょっと色っぽい。最後のいり藁松葉餅は究極の救荒食物で、藁や松葉を搗いて粉にし干したり蒸したりして餅状にしたものらしい。「マックロ節」が大流行になった時代背景が見える。
鹿乃子にマックロ節の話をしたら、通っているデ―サービスに演歌師がきて歌ってくれたという。
マックロ節をUチューブで聴いてみたら、何となくほっとするようなのんびりとしたテンポだった。